常澄観音縁起
其の1
常澄観音は法燈円明国師の実母恵日大姉尊崇の霊仏である。法燈国師は観音の化身であるといい伝えられている。国師の誕生も多くの聖人君子と同様に奇瑞にみちていた。
国師の母は子どものないことを愁い、常日頃戸隠山の観音に子どもを授かるよう祈っていた。ある晩観音が母の夢枕に立たれて、自ら燭を母に授けたという。この時母の胎内に宿ったのが国師であった。
また、由良興国寺でのことである。国師は方丈の裏手を流れる川岸の石に座して瞑想にふけっておられた。侍僧が行ってみると石上に観音が安座し、流れ行く水にも観音の影をうつしていた。侍僧は怪しく思って咳をたてると、観音の姿は国師に遷えられていたという。
其の2
観音に祈り、観音の化身である国師を生んだ母は、常に観音を信仰していた。年老いて国師を慕い紀州由良へおもむいた時も、平素の念持仏であった観音像を胸に抱かれて行った。そして興国寺のかたわらに一宇の精舎を建て、その本尊として祀り、朝夕勤行を怠らなかったという。母堂の精舎は後に修善寺と号し、明治時代の終わりまで存続されたが、本山の併合するところとなり、本尊観音の霊仏は本山興国寺の客仏となっていた。
大正2年(1913)国師降誕の遺跡記念碑建設竣工の節、紀州興国寺より国師降誕のゆかりの地であるこの神林山福應寺に奉遷安置されたのである。
国師の俗姓を恒あるいは常澄というのに因んでここに常澄観音と号し、広く善男善女をして大慈悲救苦霊観音菩薩の功徳に浴させることになった。